次の文章は『沙石集』の一話「耳売りたる事」である。これを読んで、後の設問に答えよ。
南都に、ある寺の僧、耳のびく厚きを、ある貧なる僧ありて、「\underline{ア}たべ。御坊の耳買はん」と云ふ。「どく買ひ給へ」と云ふ。「いかほどに買ひ給はん」と云ふ。「五百文に買はん」と云ふ。「さらば」とて、銭を取りて売りつ。その後、京へ上りて、相者のもとに、耳売りたる僧と同じく行く。相して云はく、「福分おはしまさず」と云ふ時に、「あの御坊の耳、その代銭かくのごとき数にて買ひ候ふ」と云ふ。「さては御耳にして、御心安からん」と相す。さて、耳売りたる数にて買ひ候ふ」と云ふ。「御福分かなひて、世間不階の人なり。「かく耳売る事もあれば、貧窮を売ることもありぬべし」と思ひ、南都を立ち出でて、東の方に住み侍りけるが、学生にて、説法などもする僧なり。
ある上人の云はく、「老僧を仏事に請ずる事あり。身老いて道遠し。予に代はりて、赴き給へかし。ただし三日路なり。想像するに、施物十五貫、文には過ぐべからず。またこれより一日路なる所に、ある神主の有徳なるが、七日逆修をする事あり。これも予を招請すといへどもかんことを欲せず。これは、一日に無下ならば五貫、ようせば十貫づはせんずらん。公、いづれに行き給はんと云ふ。かの僧、「仰すまでもなし。遠路を過ぎて、十五貫文など取り候はより、一日路きて七十貫こそ取り候はれめ」と云ふ。「しからば」とて、一所へは別人をして行かしむ。神主は齢八旬に及びて、病床に臥したり。子息申しけるは、「老体の上、不例日久しく既に海を渡りて、その処に至りぬ。神主は齢八旬に及びて、病床に臥したり。子息申しけるは、「老体の上、不例日久しく仕り候て、安泰頼み難く候へども、もしやと、先づ祈禱に、真読の大般若ありたく候ふ」と申す。「また、逆修は、いかさま用意して、ひて、やがてひきつぎ仕り候はんと云ふ。この僧思ふやう、「先づ大般若を取るべし。また逆修の布施は置き物」と思ひて、